巡礼をはじめたとき①
前略
みなさん、こんばんは。
今夜は、写経を始めたのち、巡礼をスタートした当時のことについて書いてみようと思います。
写経を始め、写経ドリルの著者のいらっしゃるお寺の読経会に参加したことにより、般若心経やその他のお経にも多少の知識を有することになった当時の私。
しかし、正直、それまでの“お経”に対するイメージはあまりよくなかったように思います。例えば、「不気味」であったり、「怖い」、「霊が寄ってくるのでは?」といったものです。
お寺の檀家さんであったり、ご家族が信心深くない限り、現代ではお経はなかなか身近ではないと思うので、そういったネガティヴなイメージが先行してしまうのも仕方ないのかなぁと思う一方、現代を生きていくなかで非常に強い味方になってくれる、ありがたいお言葉(現代語訳)が含まれているので、そういうイメージが強いのはもったいないことだな、と感じています。
そして当時の私は写経を始め、お経に対してポジティブなイメージを抱きはじめつつも、検索するのです。「お経 幽霊」と・・・・。
すると、とあるブログの記事に行き当たります。今ではブログも書籍化され、その他にも多数書籍を出されていらっしゃる桜井識子さんのブログです。
【お経(般若心経)には霊が寄ってくる?】と題された記事を恐る恐るクリック。
結果から言うと、「お経に霊は寄ってこない」とのことでした。
記事を要約すると、“お経は尊いものであり、高波動である。よって低波動である霊は近寄れない。”とのこと。
(気になる方は桜井識子さんのブログや書籍をお読みくださいね。)
この記事を読んだことにより、桜井識子さんに興味を持ち、識子さんのブログ記事を全部読みました。その一か月後に、桜井識子さんのブログが書籍化されます。(もちろん即購入)
識子さんは神仏とお話ができる方なので、かなりスピリチュアル色の濃い内容でしたが、「私も神仏とお話がしてみたい!」と熱望するようになり、そんな思いが巡礼のきっかけとなったのでした。
・・深夜とは言え、ちょっと怪しげなお話になってしまいましたね。
写経ドリルを始めてからドリルのプログラムどおり約一ヶ月でドリルを終え、いよいよ写経用紙と筆ペンでの写経を始めました。
浄書したものが何巻*1か身の回りに溢れるようになります。浄書した写経はどのようにすれば良いのか?とふと疑問が湧き、ネットで検索してみることに。
写経はお寺に納めるものなのだということが判明。
(もちろん、お家に飾っても良いです。)
更に調べると、元々“御朱印”*2は写経を納めた証として書いてもらうものだとも。
それがお経を上げたら頂けるものとなり、今では納経料*3を納めれば頂けるものとなりました。
そうとわかれば、納めにいくっきゃない!と謎の闘志に火が付き、ちょうど仕事の3連休が控えていたので、予定を組み始めます。
いまとなっては、一日目の虚空蔵堂を選んだ理由を思い出せないのですが、真言宗*4であるという短絡的な理由だったと思います。
虚空を名乗る私が、巡礼のスタートを虚空蔵堂に選んだことに深い意味を感じぜずにはいられません。
前置きが長くなってしまったので、続きはまたのちほど。
続く
虚空