ゴーストバスターズ2の話
前略
ご無沙汰を重ねており、申し訳ございません。
みなさま、お変わりございませんか。
実は先週、“YouTube”にチャンネル開設をし、そちらの撮影と編集に時間を割いておりました。
それに加え、今週は腹部の痛みがあり、なかなか書けない状況が続いておりました。
※昨日受診したところ、軽度の虫垂炎でした。幸いにも軽症のため、投薬、自宅療養となりましたのでご安心ください。
幸か不幸か、虫垂炎からくる不調のお陰で、珍しくベッドで安静にする時間を得たのを良いことに、5本の映画を鑑賞しました。
初見のものもあれば、懐かしさを感じてチョイスしたものまで。その中の1本が「ゴーストバスターズ2」でした。(同シリーズ1も同日鑑賞。)
同シリーズの1も小学生時代に何度も観たはずですが、改めて観ると忘れている部分があまりにも多く、新鮮な気持ちで鑑賞することができました。
(2に至ってはクライマックスの演出も結末も忘れている始末。)
ビル・マーレイ演じるベンクマンはこんなに皮肉屋だったっけ、といった感情を抱いたり、ゴーストバスターズお馴染みのテーマソングでウキウキしたり、大げさなストーリー展開のなかにも“夢”や“温かさ”を感じられるような、80年代ムービーの良さを再認識。
いつもながら前置きが長くなりましたが、本日は「ゴーストバスターズ2」を観て感じたことを書いていきます。
ゴーストバスターズ2では、同シリーズ1でお馴染みの、ゴーストバスターズオリジナル幽霊退治マシンでゴーストを退治する方法では歯が立たず、物語のクライマックスでは巨大な悪の力に対抗するために“NY市民の善の力”を驚きの方法で集め始めます。
※物語の舞台はNY。同映画を観たことがない方へのネタバレを避けるために大まかな表現をさせていただきます。
映画内での悪の力は、“憎しみ”、“怒り”、“汚い言葉”などのネガティヴなものに反応するものでした。
大都市であるがゆえ、NYでは忙しい日々を送る人が多く、心の余裕の無さも相まってネガティヴな感情や言葉で溢れています。
そんななかで、クライマックスではNYの人々が一丸となって、善の力で悪に立ち向かいます。
現代でも、“天国言葉”と“地獄言葉”と言われるものがありますよね。
天国言葉は「ありがとう」や「嬉しい」、「しあわせ」といった、ポジティブな感情を形容したものです。
反対の地獄言葉は「ウザい」、「ムカつく」などの不平不満を表したもの。
スピリチュアルな単語を用いるのであれば、“波動”が高い、低い言葉と表せますね。
故・小林正観さんや斎藤一人さんが提唱していたのでご存じの方も多いのではないでしょうか。
私は修行をはじめてからというもの、言葉遣い(言葉選び)の大切さをひしひしと感じるようになりました。
以前の私の記事でも、“十善戒 じゅうぜんかい”という仏教の戒めについて軽くご紹介したことがありますが、そのなかに“不悪口 ふあっく”というものがあります。
汚い言葉遣いをしてはいけない、というものです。
当然と言えば当然のことなのですが、それまでの私はそれほど強く意識したことはなかったように思います。
先述しました小林正観さんの著書を読んだことも、天国言葉を意識するきっかけとなりました。
少し脱線しますが、5年ほど前でしょうか。
修行を始めた頃に出会ったお客様がいます。
有名な大企業にお勤めのお偉いさんでした。
豪快にお酒を呑み、豪快に冗談を言い、お会いするといつも、「最高!」や「ありがとう」など、まさに“天国言葉”を多用している方でした。
お一人でいらっしゃる時も、部下の方を目の前にしても、必ず部下の方への感謝を口にします。
一緒にお酒を呑んでいて、気持ちよさしか感じないお客様でした。天国言葉をたくさん使う方だなぁ、とお会いする度に思っていました。
同じ空間に居合わせる人たちが気持ちよく過ごせるような言動をする、スペシャリストでした。
これが、大企業で社会的な成功を収める秘訣なのだろうなぁ、と強く感じたのを覚えています。
※過去形での表現となっているのは、その後栄転され、数年間お会いしていないためです。
このお客様との出会いも、ポジティブな言葉が持つ力を実感するきっかけとなりました。
天国言葉は邪悪なパワーにも勝ち得るのです。まさに言霊です。言葉にも魂が宿るのです。
一方、地獄言葉をたくさん使う方がいらっしゃるのも事実。
なかでも、ここに書くのも憚られますが、イラッとした拍子に感情にまかせて「しね」という不満の表し方をする方、いらっしゃいますよね。「ウザイ」も同様。
20代半ばを過ぎているような方がそのような言葉を口にしているのを見聞きすると、嫌な気分になります。(10代ならば言って良いという意味ではありません。)
その言葉が持つネガティヴな力のせいもあると思うのですが、語彙力の無さに対して呆れてしまうからというのも理由の一つだと思います。
「しね」というたった二文字の短絡的な単語でしか自身の不満を表せない、これは悲しいことではないでしょうか。
大人になったら、自分が発言することによって、周りの人がどういう気分になるだろうか、など、もう少し責任を持つべきだと思っています。
決して、「怒ってはいけない」と言っているわけではなく、不当な扱いを受けたら反論するべきだし、そういうときだからこそ尚、表現の仕方が大切だと思うのです。
とは言え、まだまだ修行の足りない私は、イライラしているときや心の余裕がないときなど、ついついネガティヴな言葉が口を吐くこともあります。(しねとは言いません。)
よく怒っていた頃と比べると(元来短気な性分なのです)、そんな状態に陥っている自分にその場で気付けるようになったということです。
ネガティブな言葉が口から出たこと自体を後悔するというわけではなく、「こんな言葉遣いをしている自分」を、俯瞰して見られるようになりました。
その時の自分の感情にちゃんと気付いてあげることはそれまでの私にとっては難しいものでした。
今自分が抱いている負の感情に気付くのは、【今、ここ、この瞬間】を大切にする、マインドフルネスとも言えます。
そして天国言葉のお客様との出会いから数年後、ネットにて「大切なひとにできるただひとつのこと-備忘録」なるものを見つけます。
電話の声が素敵だね、とか笑った皺がかわいいね、とか
お茶碗の洗い方が丁寧だね、とか、
ほんとにもうなんでも、どんな小さな、ささいなことでもよくて、
「他人」という目線でそのひとの素敵なポイントを見つけて、
言葉にして手渡してあげることだと思っています。
ひたすら相手のいいところを見つけて言葉で肯定し続ける、その積み重ねは自信になって、わたしがいなくなっても
わたしの大切なひとをつらいことから守る盾になってくれると思っています。
どなたの発言なのかは不明なのですが、非常に素敵な考えだなぁと心がじんわりしたのを覚えています。
これと同様の考え方が仏教にもあります。「灌頂施 かんじょうせ」という教えです。
「灌頂施 かんじょうせ」
出会ったひとに、“あなただからこそできること”を教えてあげること
2018年夏に、川崎大師の夏期講座に出たときに僧侶の方が講座内で教えてくださったことです。
以来、なるべく実行しようと意識しているのですが、この思いを“贈り物”の形にしたことがあります。
友人の一人に、日ごろ非常にお世話になっている女性がいらっしゃいます。
その女性の、一年前のお誕生日からプロジェクトはスタート。
日々女性と私の間で起きる出来事のなかで、そのお女性の“素敵だな”と思う部分を一筆箋にしたためていきました。
“一年分の素敵”を集めて、お誕生日にプレゼントしました。
元気が出ないときや、落ち込んでいるときなど、おみくじのように引いて開けてくださいね。と手渡しました。
お金はさほどかからないものですが、真心はとても伝わるのではないかな、と考えてプレゼントしたものです。
必要なものは
- 便せん
- ビン
- リボン
たったこれだけです。
日ごろお世話になっている方がいて、変わったプレゼントをしたい方、手書きでの真心を伝えたい方、お試しされてはいかがでしょうか。
お相手にもよるのでしょうが、喜んでいただけます。
余談ですが、天国言葉を使うようにしたり、ポジティヴな言葉をお相手にかけたりすることで、私に対しても素敵な言葉をかけてくれる方々が周囲に増えたように感じます。
こういったちょっとの意識で、開運にもつながると思っています。
素敵な言葉遣いを意識しはじめたのは、もともとは“開運目的”という、そんな不純な動機も少なからずありました。
でも結果として、お相手も自分も幸せにさせるような、とってもお得な心がけかな、と思います。
以上、ゴーストバスターズ2を観て、天国言葉のお客様と、天国言葉の大切さを思い出した日でした。
まだまだ暗いニュースで溢れる世の中ですが、少しでも何かのヒントになったり、ポジティヴを感じていただければ嬉しいです。
早々
虚空