巡礼をはじめたとき②
前回の続きです。
巡礼一日目に訪れた
巡礼前日の計画段階で見込んでいた、自宅(千葉県)から虚空蔵堂への車での所要時間はおよそ三時間でしたが、二時間半程度で到着。9時半を回った頃でした。
日曜日だったこともあり、すでに多くの人で賑わっていました。
まずは本堂へ参拝し、納経所へ書き溜めた三巻の写経を納め、納経をいただきました。
折角なので、「お護摩祈願」を試してみよう!と思いつき、お護摩の時間を確認したところ、それほど待たずに次のお護摩祈願を受けられるとのことだったので、お護摩祈願の申し込み用紙に必要事項を記入し、五千円を納め申し込みをしました。
※現在のお護摩祈願の時間や、お護摩祈願料金については、村松山 虚空蔵堂のHPにて確認をお願いいたします。
五年前のことなので定かではないですが、申し込み用紙のお願い事の欄では「商売繁盛」に丸をつけた気がします。
「神仏とお話がしたい!」と思っての巡礼のはじまりでしたが、ご利益を求める邪な気持ちも当然のごとくあるのです。
写経を始めたり、桜井織子さんの書籍を読んでからというもの、「神仏って本当にいるんだな」と感じながらも、「本当にご利益はあるのだろうか?」と、実験するような気持ちも持ちあわせていた当時です。
(五年間、巡礼や修行を細々と続けた経験から言うと、ご利益はあると思っています。)
お護摩祈願開始までの待ち時間に、虚空蔵堂に隣接している“村松大神宮”にも参詣し、御朱印をいただきました。歴史が古く、由緒正しきお宮のようなので虚空蔵堂とどちらも参拝できるのはお得な気分でした。
そしていよいよ人生初のお護摩祈願。
多くの人で賑わう本堂は、一人に与えられる対するスペースは余りなかったですし、慣れない正座で臨むことに。
燃え盛る炎の前で行われる儀式は、初めてということもあり遠目から見ても凄まじく、興奮したのを覚えています。
しかし、当時は正座をする機会もなかなかなく、お護摩祈願が始まり10分もしないうちに足を崩したのは言うまでもありません。
痺れる足に意識を持っていかれつつ、お経に意識を集中すると、読経会で読んだような聞き覚えのあるお経も聞こえてきました。そして般若心経部分に入ると、一気に身近に感じるわけです。
余談ですが、真言宗の寺院で般若心経を読む時、大きな太鼓を叩きながらの読経となるので、なかなかの迫力となります。初めて読経会に参加した時には非常に驚きました。笑ってしまいそうになるほど....。
そして無事お護摩も終わり、お護摩祈願をお願いすると頂けるお札などを拝受し、虚空蔵堂をあとにしました。
帰り道は高速道路にて突風に煽られたり、帰宅してから謎の胃痛に襲われたりしましたが、単身で他県のお寺まで写経を納めに行った充実感、刺激的な人生初のお護摩祈願を体験したことにより素敵な巡礼一日目となりました。
翌日はいよいよ初めての高尾山登拝。
まずはHPにて登拝ルートの確認から始めました。高尾山山頂までは一号路〜六号路と呼ばれる六つのコースがあり、その他に稲荷山コースと呼ばれるものがあります。当然、険しさや山頂までの所要時間も異なります。一番メジャーなのがアスファルトで舗装されており、軽装でも登れる一号路です。
※詳しいルート情報は、上記高尾山HPにてご確認ください。
私は別名びわ滝コースと呼ばれる六号路で登ることに決めました。写経を始めるよりも昔に、ひょんなことから滝行をしたことがあり、その後も数回滝行を体験。以来滝には親近感を持っており、高尾山の滝を一目見たい、との思いからです。そしてこの日から数年後、このびわ滝でも滝行をすることになるとは、この時の私は知る由もありません。様々な滝行体験についてはまた改めてご紹介できればと思います。
巡礼二日目に高尾山を選んだのには、真言宗寺院があるという理由と、もう一つ理由があります。
「登山」がしたかったからです。
というのも、織子さんの書籍によると、山にある神社仏閣にはより大きなご利益がある、とのことだったのです。・・当時はご利益ありきだったのね、とブログを書きながら苦笑しています。しかし、どんな理由であれ、神仏にご挨拶(参拝)することが大切だと思っています。
そして翌日。
確か朝4時くらいに起き、身支度を済ませ最寄り駅から電車で「高尾山口駅」を目指しました。6時前の電車に乗り8時過ぎに到着。駅から少し歩き、高尾山の麓に到着しました。
高尾山の麓には、「高尾山 薬王院別院 不動院」という寺院があります。
手始めにこちらに参拝。不動院というだけあり、ご本尊は「不動明王」で、縄と剣を持つ怖い顔をした仏様です。不動明王のご真言を上げました。
真言(しんごん)とは、サンスクリット語のマントラ(मन्त्र Mantra)の訳語で、「(仏の)真実の言葉、秘密の言葉」という意。[1]『大日経』などの密教経典に由来し、浄土真宗を除く多くの大乗仏教の宗派で用いられる呪術的な語句である。 漢訳経典では、「真言」の他に「密言」、「呪」、「明呪」等と訳される。Wikipediaより出典 真言 - Wikipedia
のうまく さんまんだ ばーざらだん せんだん まーかろしゃーだ
そわたや うんたらた かんまん
読経会に参加してからというもの、ご真言にも興味を持ちました。
おまじないのようで怪しい魅力を感じ、すぐに覚えました。
お寺をあとにする前に、お寺の入り口を入ると右側にある空海さんの像にもお参り。
こちらでは空海さんのご宝号*1を上げ、お写真を撮らせていただきました。
空海さんご宝号
南無大師遍照金剛 (なむだいしへんじょうこんごう)
その時に撮影したお写真がこちら。
美しい光が映り込んでいることに気が付いたのは、帰宅してからでした。
歓迎してくれたような気がして、とても嬉しくなったのを覚えています。
以後、高尾山に登拝するときは必ずお参りし、お写真を撮らせていただくこともありますが、このような神々しいお写真が撮れたのはこれっきりです。
またまた前置きが長くなりましたが、いよいよこのあと高尾山登拝開始です。
お付き合いいただければ幸いでございます。
続く
虚空