Ann Luminage 虚空のこころ

日常や、こころを綴ります。

ゴーストバスターズ2の話

前略

 

ご無沙汰を重ねており、申し訳ございません。
みなさま、お変わりございませんか。

実は先週、YouTube”にチャンネル開設をし、そちらの撮影と編集に時間を割いておりました。

それに加え、今週は腹部の痛みがあり、なかなか書けない状況が続いておりました。
※昨日受診したところ、軽度の虫垂炎でした。幸いにも軽症のため、投薬、自宅療養となりましたのでご安心ください。

 

幸か不幸か、虫垂炎からくる不調のお陰で、珍しくベッドで安静にする時間を得たのを良いことに、5本の映画を鑑賞しました。

初見のものもあれば、懐かしさを感じてチョイスしたものまで。その中の1本がゴーストバスターズ2」でした。(同シリーズ1も同日鑑賞。)


同シリーズの1も小学生時代に何度も観たはずですが、改めて観ると忘れている部分があまりにも多く、新鮮な気持ちで鑑賞することができました。
(2に至ってはクライマックスの演出も結末も忘れている始末。)

 

ビル・マーレイ演じるベンクマンはこんなに皮肉屋だったっけ、といった感情を抱いたり、ゴーストバスターズお馴染みのテーマソングでウキウキしたり、大げさなストーリー展開のなかにも“夢”や“温かさ”を感じられるような、80年代ムービーの良さを再認識。


いつもながら前置きが長くなりましたが、本日は「ゴーストバスターズ2」を観て感じたことを書いていきます。

 

 

ゴーストバスターズ2では、同シリーズ1でお馴染みの、ゴーストバスターズオリジナル幽霊退治マシンでゴーストを退治する方法では歯が立たず、物語のクライマックスでは巨大な悪の力に対抗するために“NY市民の善の力”を驚きの方法で集め始めます。

※物語の舞台はNY。同映画を観たことがない方へのネタバレを避けるために大まかな表現をさせていただきます。

 

映画内での悪の力は、“憎しみ”、“怒り”、“汚い言葉”などのネガティヴなものに反応するものでした。

大都市であるがゆえ、NYでは忙しい日々を送る人が多く、心の余裕の無さも相まってネガティヴな感情や言葉で溢れています。

そんななかで、クライマックスではNYの人々が一丸となって、善の力で悪に立ち向かいます。


現代でも、天国言葉“地獄言葉”と言われるものがありますよね。

天国言葉は「ありがとう」「嬉しい」「しあわせ」といった、ポジティブな感情を形容したものです。

反対の地獄言葉は「ウザい」、「ムカつく」などの不平不満を表したもの。

スピリチュアルな単語を用いるのであれば、“波動”が高い、低い言葉と表せますね。
故・小林正観さんや斎藤一人さんが提唱していたのでご存じの方も多いのではないでしょうか。

私は修行をはじめてからというもの、言葉遣い(言葉選び)の大切さをひしひしと感じるようになりました。

以前の私の記事でも、“十善戒 じゅうぜんかい”という仏教の戒めについて軽くご紹介したことがありますが、そのなかに“不悪口 ふあっく”というものがあります。

汚い言葉遣いをしてはいけない、というものです。

 

 

当然と言えば当然のことなのですが、それまでの私はそれほど強く意識したことはなかったように思います。
先述しました小林正観さんの著書を読んだことも、天国言葉を意識するきっかけとなりました。

 

少し脱線しますが、5年ほど前でしょうか。

修行を始めた頃に出会ったお客様がいます。

有名な大企業にお勤めのお偉いさんでした。

豪快にお酒を呑み、豪快に冗談を言い、お会いするといつも、「最高!」「ありがとう」など、まさに“天国言葉”を多用している方でした。

お一人でいらっしゃる時も、部下の方を目の前にしても、必ず部下の方への感謝を口にします。

一緒にお酒を呑んでいて、気持ちよさしか感じないお客様でした。天国言葉をたくさん使う方だなぁ、とお会いする度に思っていました。

同じ空間に居合わせる人たちが気持ちよく過ごせるような言動をする、スペシャリストでした。
これが、大企業で社会的な成功を収める秘訣なのだろうなぁ、と強く感じたのを覚えています。

※過去形での表現となっているのは、その後栄転され、数年間お会いしていないためです。

 

このお客様との出会いも、ポジティブな言葉が持つ力を実感するきっかけとなりました。

天国言葉は邪悪なパワーにも勝ち得るのです。まさに言霊です。言葉にも魂が宿るのです。

 

一方、地獄言葉をたくさん使う方がいらっしゃるのも事実。

なかでも、ここに書くのも憚られますが、イラッとした拍子に感情にまかせて「しね」という不満の表し方をする方、いらっしゃいますよね。「ウザイ」も同様。
20代半ばを過ぎているような方がそのような言葉を口にしているのを見聞きすると、嫌な気分になります。(10代ならば言って良いという意味ではありません。)


その言葉が持つネガティヴな力のせいもあると思うのですが、語彙力の無さに対して呆れてしまうからというのも理由の一つだと思います。

 

「しね」というたった二文字の短絡的な単語でしか自身の不満を表せない、これは悲しいことではないでしょうか。

大人になったら、自分が発言することによって、周りの人がどういう気分になるだろうか、など、もう少し責任を持つべきだと思っています。
決して、「怒ってはいけない」と言っているわけではなく、不当な扱いを受けたら反論するべきだし、そういうときだからこそ尚、表現の仕方が大切だと思うのです。

 

とは言え、まだまだ修行の足りない私は、イライラしているときや心の余裕がないときなど、ついついネガティヴな言葉が口を吐くこともあります。(しねとは言いません。)

 

よく怒っていた頃と比べると(元来短気な性分なのです)、そんな状態に陥っている自分にその場で気付けるようになったということです。

ネガティブな言葉が口から出たこと自体を後悔するというわけではなく、「こんな言葉遣いをしている自分」を、俯瞰して見られるようになりました。

その時の自分の感情にちゃんと気付いてあげることはそれまでの私にとっては難しいものでした。

 

今自分が抱いている負の感情に気付くのは、【今、ここ、この瞬間】を大切にする、マインドフルネスとも言えます。

 そして天国言葉のお客様との出会いから数年後、ネットにて「大切なひとにできるただひとつのこと-備忘録」なるものを見つけます。

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大切なひとにできるただひとつのこと

電話の声が素敵だね、とか笑った皺がかわいいね、とか

お茶碗の洗い方が丁寧だね、とか、

ほんとにもうなんでも、どんな小さな、ささいなことでもよくて、

「他人」という目線でそのひとの素敵なポイントを見つけて、

言葉にして手渡してあげることだと思っています。
ひたすら相手のいいところを見つけて言葉で肯定し続ける、

その積み重ねは自信になって、わたしがいなくなっても

わたしの大切なひとをつらいことから守る盾になってくれると思っています。

 どなたの発言なのかは不明なのですが、非常に素敵な考えだなぁと心がじんわりしたのを覚えています。

 

これと同様の考え方が仏教にもあります。「灌頂施 かんじょうせ」という教えです。

「灌頂施 かんじょうせ」
出会ったひとに、“あなただからこそできること”を教えてあげること

2018年夏に、川崎大師の夏期講座に出たときに僧侶の方が講座内で教えてくださったことです。


以来、なるべく実行しようと意識しているのですが、この思いを“贈り物”の形にしたことがあります。


友人の一人に、日ごろ非常にお世話になっている女性がいらっしゃいます。
その女性の、一年前のお誕生日からプロジェクトはスタート。

日々女性と私の間で起きる出来事のなかで、そのお女性の“素敵だな”と思う部分を一筆箋にしたためていきました。
“一年分の素敵”を集めて、お誕生日にプレゼントしました。

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素敵おみくじ 2018年9月

元気が出ないときや、落ち込んでいるときなど、おみくじのように引いて開けてくださいね。と手渡しました。

お金はさほどかからないものですが、真心はとても伝わるのではないかな、と考えてプレゼントしたものです。

必要なものは

  • 便せん
  • ビン
  • リボン

たったこれだけです。

日ごろお世話になっている方がいて、変わったプレゼントをしたい方手書きでの真心を伝えたい方、お試しされてはいかがでしょうか。

お相手にもよるのでしょうが、喜んでいただけます。

余談ですが、天国言葉を使うようにしたり、ポジティヴな言葉をお相手にかけたりすることで、私に対しても素敵な言葉をかけてくれる方々が周囲に増えたように感じます。


こういったちょっとの意識で、開運にもつながると思っています。

素敵な言葉遣いを意識しはじめたのは、もともとは“開運目的”という、そんな不純な動機も少なからずありました。

でも結果として、お相手も自分も幸せにさせるような、とってもお得な心がけかな、と思います。

以上、ゴーストバスターズ2を観て、天国言葉のお客様と、天国言葉の大切さを思い出した日でした。

まだまだ暗いニュースで溢れる世の中ですが、少しでも何かのヒントになったり、ポジティヴを感じていただければ嬉しいです。

 

早々

虚空

 

 

手紙のすゝめ

拝啓

 春陽のみぎり、ますますご活躍のこととお慶び申し上げます。

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こんばんは、虚空です。

今日は巡礼や神仏については一旦お休みし、「お手紙」について書いてみようと思います。 

私の今のところのブログの執筆スタイルの、「拝啓」「前略」などの頭語*1から始まり「かしこ」「早々」といった結語*2を用いてお手紙を模すようにしているのは、“お手紙に対する熱い気持ち”ゆえです。

ここでまた昔話となりますが、写経を始めるよりも前にネットにてホステスコンサルタントの方に出会います。

銀座でホステスをしていらした女性であり、ホステス時代のご自身の経験や知恵を用いて主にホステスを相手にコンサルティングしてくださる方でした。以下Aさんとします。

 実は私もホステスとして働く身であり、どうも満足のいく成果を得られず思い悩んでいる時期でもありました。

気付けばその方のブログに、毎日目を通すのが日課となっていました。

ブログで紹介されていたAさんのお客様への営業方法が「お手紙」とのことでした。

もちろん銀座のクラブともなれば、お客様へお出しするお手紙もお客様に頂いたお名刺に沿ってお出しするので、「○○会社○○様宛て」であることの方が多いとのことでした。

ということは、実際の送り先であるお客様の手に渡るまでに社内の複数名の方の目に触れることもざらだそうです。

そうなると、誰が見ても恥ずかしくないお手紙を書く必要があります。

礼儀を欠いたお手紙を出してしまうと、お客様自身にも大恥をかかせてしまうことになりかねません。

そのため、Aさんもお手紙の書き方についてはたくさん勉強なさったとのことでした。

私は、小中学生の頃からお手紙交換や交換ノートが好きだったので、Aさんのこの営業方法は私にもできそう!と思い立ち、まずはネットで調べ勉強を始めました。

とはいえ、時候の挨拶のかなめである二十四節気*3はやはり堅苦しく、当時24歳の私の脳ミソには上手く定着しなかったのをよく覚えています(^-^;

私の働くお店は、当然のごとく銀座とはお客様の層も異なりますから、いきなりお手紙にてお客様へ営業をするのも敷居が高く感じていました。

 

それから数ヶ月後に写経に出会いったのち、再びお手紙にチャレンジしてみようと決意し、本屋さんでお手紙の書き方を紹介している本を二冊ほどピックアップし、お手紙を書く練習を始めました。

(書籍の情報については後述します。)

 

お手紙のおおまかな構成ですが、以下のようになります。

頭語からはじまり、時候の挨拶*4、主文(本題)、結びの言葉、結語、後付け*5

24歳の頃の私が嫌った時候ですが、今や、四季の移ろいを感じられる情緒に溢れた言葉の数々が大好きです。

お手紙を書くことで二十四節気に触れるようになったことも、四季を感じることを大切にするきっかけになったように思います。

今ではお客様にお手紙や年賀状、暑中見舞いをお出しすることもありますし、遠い地に住む友人に宛てることもあります。

これだけデジタル化が進む現代において、いとも簡単に人と繋がれる世の中なのに、あえて手書きで文をしたため、切手を貼り、お相手に届くまでに数日かかるという部分にロマンを感じてしまいます。

不便のなかにこそ見えるものってありますよね。

そして、切手や便せんを選ぶのがまた楽しいのです。記念切手の類は美しいものも多いですし、時事を表すものもあったりしてわくわくします。
このお相手に合う切手はどれかしら、この便せんはお気に召していただけるかな、などと考えている時間にもロマンを感じます。

また、お気に入りの香水で便せんにほのかに香りをつけたり、文香と呼ばれるものを封筒に忍ばせたりします。

ここで、私が数年間教科書変わりにしている書籍のご紹介です。

 

 

https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4278031335/hatena-blog-22/

 

https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4093107319/hatena-blog-22/

 

 

 その時の二十四節気や、手紙のマナーなど、不安な時は今でもフル活用しています。
ちょっと言い回しを変えたい時や、書籍の中の文の言い回しがしっくりこない時はネット検索もします。

これだけお手紙を書くことに精を出している理由ですが、受け取ったお相手が喜んでくださるから。それだけです。

お手紙初心者である私が、お客様へのお手紙を書きそれを郵送せずにどうしたかというと、書いたお手紙の写真を取り、LINEやメールに添付して送るというものでした。

お店で出会って、お名刺をくれたお客様であっても私がお仕事をする千葉県では、やはりいきなり会社宛てにお手紙を出すのはどうしても敷居が高いことでした。

でも、ご来店に対するお礼状を書いたり、お客様の安否を気遣うお手紙をどうしても届けたかった。

やはり、手書きというのは嬉しいそうで、皆様とても喜んでくださいました。お手紙の原本は大事に保管し、お客様のご来店時にお渡ししていました。

その後味を占めた私は、お客様以外にも積極的にお手紙を書くようになります。

巡礼で知り合った修行仲間の方々、インスタグラムで出会いオンラインでホロスコープ*6鑑定をしてくださった占い師の方、大好きなyoutuberの方などなど、皆様予想以上に喜んでくださって、私のお手紙の画像をプリントアウトしてくださったり、私のお手紙をインスタ上で紹介してくださったり、youtuberの方にいたっては四千人が視聴していた生配信で紹介してくださったりしました。

これだけお手紙を受け取った皆様が喜んでいただけるのだから、このブログを読んでくださる方で、お手紙を書いたことがない方、是非チャレンジしていただきたいです。

お手紙のマナーは少し難しい感じもしますが、先に書いた頭語~後付けまでの構成を覚えてしまえば簡単です。

このご時世、ネットで検索をかければ大抵のことはわかりますし、春の息吹を感じるこの季節をお手紙で表現してみませんか。

以下に私の書いたを記載しますね。先ほど書いてみました。便せんは先日衝動買いしたものです。

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右側画像から頭語、時候の挨拶、主文、結びの言葉、結語、後付け


※友人に宛てて書いたものなので、後付けの署名(本名)と友人のお名前は伏せさせていただきました。

ご質問などあればお気軽にお問い合わせくださいね。

 

コロナウイルスが猛威をふるい、手に入らない備品もあったりして混沌とした世になりつつあります。不安ですね。
季節の代わり目でもありますので、皆様体調にはくれぐれもご留意くださいね。

日々、不安に感じるその気持ちを隅々まで観察して味わうようにしています。
(瞑想の一種)

感染者の方々の一日も早い回復、亡くなった方々のご冥福をお祈り申し上げます。

 

かしこ

虚空


追伸
その後ブログを読むだけに留まらず、実際にAさんのコンサルティングに申し込み、数ヶ月間コーチングをしていただき、無事売り上げを伸ばすことに成功しました。

 

 

*1:手紙の書きだし

*2:頭語と対応させる

*3:1年を春夏秋冬で分け、更にそれぞれを6つに分けたもの

*4:季節を表す礼儀文

*5:日付、署名、宛名

*6:天体の配置図。星占い

巡礼をはじめたとき③

前略

 

前回の続きです。

 

Ann Luminage 虚空のこころ

 

不動院をあとにして、六号路入り口を目指します。

 

ケーブルカー乗り場(清滝駅)の左脇の道を進みます。

左側には小川が流れ、緩やかな傾斜になっています。

 

しばらく歩くと右側にお地蔵さんが。

立ち止まり地蔵菩薩のご真言を唱えて手を合わせます。

 

地蔵菩薩のご真言

おん かかかび さんまえい そわか

 

さらに歩くと左側に六号路の入り口が出てきました。

歩いてきたアスファルトの道路とは異なり、山道です。

いよいよ登拝がスタートすると思うと胸が高鳴ります。

 

※以下写真は別日に撮影したものですがご参考まで。

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六号路入り口 2015年3月撮影


門から先に足を踏み入れる前に合唱礼拝。

 

そして、心の中で自己紹介を始めます。

氏名、住所、年齢、職業、さらには現在の悩みまで・・・。

まだ薬王院参拝前なのになぜ?と不思議に思う方もいますよね。

 

こちらも桜井識子さんの書籍で得た知識なのですが、神仏に自己紹介はもちろん、その時の自身の状況や、悩み、頑張っていること、とにかく自分自身のことをたくさん話しかけると神仏は喜んでくれる。とのことでした。

 

折角の山の神様への参拝なので、思いっきり話しかけながら歩を進めました。

いわゆるマシンガントーク

 

地面には木の根っこが飛び出たりしていて、自然の息吹を存分に感じることができます。もののけ姫の世界のよう、と毎回思います。

 

マシンガントークをしながら自然を感じるというのは気持ちの良いもので、だんだん気分が爽快になっていくのを感じます。

 

10分しないうちにびわ滝入り口が出てきました。六号路ルートから右にそれます。

冬季のため修行をしている方はいらっしゃいませんでしたが、手前のお堂に手を合わせます。※お堂より先は修行場のため、修行をする以外の方は入ることはできません。

 

参拝を済ませ、来た道を引き返し六号路へ戻ります。

 

少し傾斜もきつくなってきます。この時が初めての登山ですが、足が止まってしまうほどではなく、気持ちが良かったです。山の斜面には所々雪が残ります。スニーカーで登山をしていたので、登山道にも雪が残っていなくてホッとしました。

※この後も何度も高尾山登拝をしていますが、スニーカーで来たことを激しく後悔した日もあります。幸いケガはしませんでしたが、危険でした。遭難するのでは?と脳裏をよぎるほど。選ぶルートにもよりますが、皆様もお気を付けください。

 

登山道にお祀りされている仏様にも手を合わせながら山頂を目指しました。

 

途中、右側に小川が流れており、登山道から少しに降りると川の水に触れられそうだったので、簡易禊をすることに。

神社やお寺で手水場で手と口を清めますよね。それを川の水でするのです。

こちらも識子さんの書籍で紹介されていたものです。

左手、右手、口を清め、最後に数滴、頭頂部に垂らします。これで簡易禊は完了です。

 

登山道に戻り、山頂を目指します。

 

写経を始めたこと、識子さんのブログや書籍を読んだことがきっかけで高尾山に登拝しようと思ったこと、写経ドリルの著者に会いに行き読経会に参加したこと、仕事であった良いこと、嫌なこと、家族のこと・・とにかくたくさんのことを話しました。

 

リアクションがあるわけではないのに、不思議と心が軽やかになっていくのです。

心の中で話しかけることにより、心の中が整理されるのでしょうね。

憤りを感じた事柄でも話しかけているうちに、別の見方ができたりするのです。

 

しばらく登り、眼下には急こう配が広がります。落ちたら大けがでは済まなさそうです。気を引き締めながら一歩一歩進みます。

 

途中、法螺貝の音が聞こえてきました。山の中で何とも言えない音を響かせており、耳に心地良かったです。なぜかはわかりませんが、気分が高揚したのを覚えています。

 

その後、小川の上の岩を進む道(飛び石)などもあり、登山が初めての私にとっては、とても楽しかったです。小学生の頃の遠足のような気分です。

 

もう少しで山頂というところまで来ると、長い階段が現れました。この階段がなかなかハードなのです。一番の難所かもしれません。上がる息を整えながら登ります。登りきると少し開けた場所に出て、そこを抜けるとアスファルトの道に出ました。緩やかな上り坂です。

 

登り切ると山頂に到着しました。登頂まで晴れた日で、とても景色が良かったです。達成感もあり、登山にハマる方々の気持ちも分かった気がしました。高い山であるほど、道中きつい思いをするほど、達成感があるのでしょうね。

 

平日の早い時間だったこともあり、あまり人は居ませんでした。

富士山も拝むことができました。冬場はより一層空気が澄んでいるので、天候にもよりますが富士山を拝める確率は高いです。

 

一息つき、今度は薬王院を目指すべく、下山を始めました。

一号路のルートで下山します。

薬王院は山頂よりも下にあるため、山頂から一号路で薬王院を目指すと裏側から入ることになります。(逆走となってしまう。)

他のルートで下山すると表から入ることもできるのですが、この日は初めての高尾山ということもあり、ルートのわかりやすさを優先しました。

 

無事に薬王院の周辺に到着しました。

薬王院奥の院の裏から入ります。奥の院のお堂を素通りし、まずは本堂を目指します。

本堂への階段を降りていると、法螺貝が聞こえてきました。法螺貝を吹き鳴らしながら僧侶の方たちが本堂を目指し歩いてきます。

ちょうど、高尾山の僧侶の方たちの勤行の時間のだったようです。

 

本堂の前で、勤行のようすに聞き耳を立てました。薬王院に到着したタイミングで勤行が始まり、私にとっては最高でした。というのも、参拝のタイミングで勤行が始まったり、お祓い、結婚式などに遭遇できるのは歓迎の証、と識子さんも書かれていたので、非常に嬉しくなったのでした。

 

勤行が終わり、参拝をすることに。

薬王院には飯縄大権現がお祀りされています。

 

南無飯縄大権現 なむいづなだいごんげん

 

と三回唱え、手を合わせました。飯縄大権現とご縁がいただけるという縄もあり、そちらの縄を握りながら唱えると飯縄大権現とご縁がいただけるとのことです。

 

本堂向かって右側には大きな天狗様が、左側にはカラス天狗様が飾られています。迫力があり、目を奪われます。(今でも登拝する度、見入ってしまいます。)

 

その後本堂周辺を散策。愛染明王のお堂を発見し、参拝します。

愛染明王のご真言は長く、未だに覚えられません・・・。

参拝者がご真言が唱えられるよう、ご真言が書かれた看板があるので皆様も見ながらご真言を上げることをおすすめします。

 

続いて大師堂です。

空海さんだ!!!と思い、手を合わせご宝号と般若心経を上げます。

大師堂の周りはぐるっと回れるようになっており、こちらも一周しました。

※高尾山内八十八大師という、四国八十八か所参りをしたのと同じご利益が得られる高尾山内での巡礼があるようで、大師堂の周囲はその札所の一部となっているようでした。

 

その後、今度は先ほど通り過ぎた奥の院を目指します。

その手前にある本社にも参拝しました。

薬王院は神社とお寺が一緒になっている、神仏習合のお寺です。

神仏習合 - Wikipedia

 

奥の院参拝も終え、薬王院をあとにします。山門を出てから仏舎利塔を目指しました。

 

仏舎利塔では不動明王真言と般若心経を上げました。仏舎利塔脇に苦抜け門と書かれた石の門を発見。十善戒*1が書かれた門が続いていました。

十善戒も、読経会で教わっていたので、門をくぐりながら思わずわくわくしていました。ちょっと不謹慎ですね。

 

十善戒 

不殺生 ふせっしょう むやみに生き物を傷つけたり殺さない

不偸盗 ふちゅうとう もの(財物)を盗まない

不邪淫 ふじゃいん 邪淫をしない

不妄語 ふもうご 嘘を言わない

不綺語 ふきご 無理に飾り立てたことを言わない

不悪口 ふあっく 悪い言葉遣い(乱暴な物言い)をしない

不両舌 ふりょうぜつ 二枚舌を使わない

不慳貪 ふけんどん 欲張らない

不瞋恚 ふしんに 怒ったり憎まない

不邪見 ふじゃけん 間違ったものの見方をしない

 

口に関することだけ4つも含まれています。

口は災いの元 とはよくいったものです。

 

すべての門をくぐり、戒めを胸に下山をしました。

 

一号路での下山でしたが、アスファルト舗装されているので歩きやすいとは言え、なかなかの傾斜です。メジャーではありますが一号路で登ることを考えると少しゾッとしました。お子様連れの方や、軽装の方(ハイヒール!の方も稀にいらっしゃいます。)も多くお見掛けするので、簡単な登山、レジャーを楽しみたい方には一号路はおすすめです。

 

私は、より自然を感じられて、清々しい気持ちになれる六号路で登るのがお馴染みとなりました。

※山頂から薬王院を目指し、薬王院表から参拝したいときでなおかつ時間の余裕があるときは別ルートをとるようにしています。

 

無事下山した時には、すっかり心が洗われたような気がして、非常に良い心持ちでした。初めての登拝で高尾山が大好きになり、5年経った今でも落ち込んでいる時や、迷いがあるとき、何か決意をしたときなどに登拝しています。私にとって高尾山はお守りのような存在です。厳かな雰囲気がありながらも、優しく包んでくれるような、そんな霊山です。

 

登山未体験の方、霊山の空気を感じたい方、おすすめです。

 

それから、勤行やお護摩祈祷が行われていないときはどなたでも本堂内にて参拝することができます。写経を納める場所も本堂内左側にあるので、私は毎回本堂の中に入らせていただき参拝をします。ありがたいことに、勤行のタイミングで薬王院に到着することも多いのでその場合は勤行終了まで待ち、写経を納めています。

仏様を前に読経に集中する時間は、心が清められるような感じがして贅沢な空間です。

 

お経は読めないよ、という方も多いと思いますが、気持ちを込めて手を合わせるだけでも良いのです。初めての時は勇気がいると思いますが、一歩踏み出して本堂に入らせていただくことをお勧めいたします。

(くれぐれもマナーはお守りくださいね。本堂内撮影禁止のお寺も多いです。)

 

余談ですが、私はお賽銭は大体千円札を入れます。お気に入りの神社仏閣や、初めての参拝の場所でも直感でそうしています。金額が多ければ良いというわけでもないですが、気持ちとしてお札を入れることにしています。もちろん無理がない範囲でですが・・・。

お賽銭に関しては、いずれ記事に出来たらいいなぁと思っております。

 

追伸

帰りの電車は途中、高幡不動駅で下車し、高幡不動尊に参拝しました。 

https://www.takahatafudoson.or.jp/

 

大師堂の空海さんの像が非常にリアルで見ごたえがありました。

 

大ボリュームの巡礼二日間となり、この両日を境にますます神仏が好きになり、写経もたくさん浄書するようになりました。こののち、たくさんのご縁にもつながります。

またぽつぽつと書いて参りますのでよろしくお願いいたします。

 

コロナウイルスの影響から、株価暴落、学校が休校になったり、テーマパークの閉園、手に入らない品物も多く、混沌とした世の中となりつつあります。

不安が募る日々ですが、こんな時こそ前向きに過ごしたいものですね。

むやみな買い占めなどはしないよう、心がけております。

手洗い、うがいをしっかりして、なるべく身を守れるよう生活しようと思います。

みなさんも体調管理にはくれぐれもご留意ください。

 

最後までお付き合いいただきまして感謝申し上げます。

 

早々

虚空

 

 

*1:真言宗十の戒め

巡礼をはじめたとき②

前回の続きです。

巡礼をはじめたとき① - 虚空のこころ

 

巡礼一日目に訪れた

茨城県 村松山 虚空蔵堂

 

茨城県村松山虚空蔵堂

 

巡礼前日の計画段階で見込んでいた、自宅(千葉県)から虚空蔵堂への車での所要時間はおよそ三時間でしたが、二時間半程度で到着。9時半を回った頃でした。

 

日曜日だったこともあり、すでに多くの人で賑わっていました。

 

まずは本堂へ参拝し、納経所へ書き溜めた三巻の写経を納め、納経をいただきました。

 

折角なので、「お護摩祈願」を試してみよう!と思いつき、お護摩の時間を確認したところ、それほど待たずに次のお護摩祈願を受けられるとのことだったので、お護摩祈願の申し込み用紙に必要事項を記入し、五千円を納め申し込みをしました。

 

※現在のお護摩祈願の時間や、お護摩祈願料金については、村松山 虚空蔵堂のHPにて確認をお願いいたします。

茨城県村松山虚空蔵堂

 

五年前のことなので定かではないですが、申し込み用紙のお願い事の欄では「商売繁盛」に丸をつけた気がします。

 

「神仏とお話がしたい!」と思っての巡礼のはじまりでしたが、ご利益を求める邪な気持ちも当然のごとくあるのです。

 

写経を始めたり、桜井織子さんの書籍を読んでからというもの、「神仏って本当にいるんだな」と感じながらも、「本当にご利益はあるのだろうか?」と、実験するような気持ちも持ちあわせていた当時です。

 

(五年間、巡礼や修行を細々と続けた経験から言うと、ご利益はあると思っています。)

 

護摩祈願開始までの待ち時間に、虚空蔵堂に隣接している“村松大神宮”にも参詣し、御朱印をいただきました。歴史が古く、由緒正しきお宮のようなので虚空蔵堂とどちらも参拝できるのはお得な気分でした。

大神宮|茨城県東海村

 

そしていよいよ人生初のお護摩祈願。

多くの人で賑わう本堂は、一人に与えられる対するスペースは余りなかったですし、慣れない正座で臨むことに。

 

燃え盛る炎の前で行われる儀式は、初めてということもあり遠目から見ても凄まじく、興奮したのを覚えています。

しかし、当時は正座をする機会もなかなかなく、お護摩祈願が始まり10分もしないうちに足を崩したのは言うまでもありません。

 

痺れる足に意識を持っていかれつつ、お経に意識を集中すると、読経会で読んだような聞き覚えのあるお経も聞こえてきました。そして般若心経部分に入ると、一気に身近に感じるわけです。

 

余談ですが、真言宗の寺院で般若心経を読む時、大きな太鼓を叩きながらの読経となるので、なかなかの迫力となります。初めて読経会に参加した時には非常に驚きました。笑ってしまいそうになるほど....。

 

そして無事お護摩も終わり、お護摩祈願をお願いすると頂けるお札などを拝受し、虚空蔵堂をあとにしました。

 

帰り道は高速道路にて突風に煽られたり、帰宅してから謎の胃痛に襲われたりしましたが、単身で他県のお寺まで写経を納めに行った充実感、刺激的な人生初のお護摩祈願を体験したことにより素敵な巡礼一日目となりました。

 

翌日はいよいよ初めての高尾山登拝。

高尾山薬王院公式ホームページ

 

まずはHPにて登拝ルートの確認から始めました。高尾山山頂までは一号路〜六号路と呼ばれる六つのコースがあり、その他に稲荷山コースと呼ばれるものがあります。当然、険しさや山頂までの所要時間も異なります。一番メジャーなのがアスファルトで舗装されており、軽装でも登れる一号路です。

 

※詳しいルート情報は、上記高尾山HPにてご確認ください。

 

私は別名びわ滝コースと呼ばれる六号路で登ることに決めました。写経を始めるよりも昔に、ひょんなことから滝行をしたことがあり、その後も数回滝行を体験。以来滝には親近感を持っており、高尾山の滝を一目見たい、との思いからです。そしてこの日から数年後、このびわ滝でも滝行をすることになるとは、この時の私は知る由もありません。様々な滝行体験についてはまた改めてご紹介できればと思います。

 

巡礼二日目に高尾山を選んだのには、真言宗寺院があるという理由と、もう一つ理由があります。

 

「登山」がしたかったからです。

 

というのも、織子さんの書籍によると、山にある神社仏閣にはより大きなご利益がある、とのことだったのです。・・当時はご利益ありきだったのね、とブログを書きながら苦笑しています。しかし、どんな理由であれ、神仏にご挨拶(参拝)することが大切だと思っています。

 

そして翌日。

確か朝4時くらいに起き、身支度を済ませ最寄り駅から電車で「高尾山口駅」を目指しました。6時前の電車に乗り8時過ぎに到着。駅から少し歩き、高尾山の麓に到着しました。

 

高尾山の麓には、「高尾山 薬王院別院 不動院」という寺院があります。

 

手始めにこちらに参拝。不動院というだけあり、ご本尊は「不動明王」で、縄と剣を持つ怖い顔をした仏様です。不動明王真言を上げました。

 

真言(しんごん)とは、サンスクリット語マントラ(मन्त्र Mantra)の訳語で、「(仏の)真実の言葉、秘密の言葉」という意。[1]大日経』などの密教経典に由来し、浄土真宗を除く多くの大乗仏教の宗派で用いられる呪術的な語句である。 漢訳経典では、「真言」の他に「密言」、「呪」、「明呪」等と訳される。Wikipediaより出典 真言 - Wikipedia

 

 不動明王のご真言

のうまく さんまんだ ばーざらだん せんだん まーかろしゃーだ

そわたや うんたらた かんまん

 

読経会に参加してからというもの、ご真言にも興味を持ちました。

おまじないのようで怪しい魅力を感じ、すぐに覚えました。

一番初めに覚えたご真言不動明王のご真言でした。

 

お寺をあとにする前に、お寺の入り口を入ると右側にある空海さんの像にもお参り。

こちらでは空海さんのご宝号*1を上げ、お写真を撮らせていただきました。

 

空海さんご宝号

南無大師遍照金剛 (なむだいしへんじょうこんごう)

 

その時に撮影したお写真がこちら。

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不動院 弘法大師空海

美しい光が映り込んでいることに気が付いたのは、帰宅してからでした。

歓迎してくれたような気がして、とても嬉しくなったのを覚えています。

以後、高尾山に登拝するときは必ずお参りし、お写真を撮らせていただくこともありますが、このような神々しいお写真が撮れたのはこれっきりです。

 

またまた前置きが長くなりましたが、いよいよこのあと高尾山登拝開始です。

お付き合いいただければ幸いでございます。

 

続く

 

虚空

*1:空海さんが自身の師である恵果和尚から授かったお名前

巡礼をはじめたとき①

前略

 

みなさん、こんばんは。

今夜は、写経を始めたのち、巡礼をスタートした当時のことについて書いてみようと思います。

 

写経を始め、写経ドリルの著者のいらっしゃるお寺の読経会に参加したことにより、般若心経やその他のお経にも多少の知識を有することになった当時の私。

  

Ann Luminage 虚空のこころ

 

しかし、正直、それまでの“お経”に対するイメージはあまりよくなかったように思います。例えば、「不気味」であったり、「怖い」、「霊が寄ってくるのでは?」といったものです。

 

お寺の檀家さんであったり、ご家族が信心深くない限り、現代ではお経はなかなか身近ではないと思うので、そういったネガティヴなイメージが先行してしまうのも仕方ないのかなぁと思う一方、現代を生きていくなかで非常に強い味方になってくれる、ありがたいお言葉(現代語訳)が含まれているので、そういうイメージが強いのはもったいないことだな、と感じています。

 

そして当時の私は写経を始め、お経に対してポジティブなイメージを抱きはじめつつも、検索するのです。「お経 幽霊」と・・・・。

 

すると、とあるブログの記事に行き当たります。今ではブログも書籍化され、その他にも多数書籍を出されていらっしゃる桜井識子さんのブログです。

【お経(般若心経)には霊が寄ってくる?】と題された記事を恐る恐るクリック。

結果から言うと、「お経に霊は寄ってこない」とのことでした。

 

記事を要約すると、“お経は尊いものであり、高波動である。よって低波動である霊は近寄れない。”とのこと。

(気になる方は桜井識子さんのブログや書籍をお読みくださいね。)

 

この記事を読んだことにより、桜井識子さんに興味を持ち、識子さんのブログ記事を全部読みました。その一か月後に、桜井識子さんのブログが書籍化されます。(もちろん即購入)

 

識子さんは神仏とお話ができる方なので、かなりスピリチュアル色の濃い内容でしたが、「私も神仏とお話がしてみたい!」と熱望するようになり、そんな思いが巡礼のきっかけとなったのでした。

 

・・深夜とは言え、ちょっと怪しげなお話になってしまいましたね。

 

写経ドリルを始めてからドリルのプログラムどおり約一ヶ月でドリルを終え、いよいよ写経用紙と筆ペンでの写経を始めました。

浄書したものが何巻*1か身の回りに溢れるようになります。浄書した写経はどのようにすれば良いのか?とふと疑問が湧き、ネットで検索してみることに。

 

写経はお寺に納めるものなのだということが判明。

(もちろん、お家に飾っても良いです。)

更に調べると、元々“御朱印*2は写経を納めた証として書いてもらうものだとも。

それがお経を上げたら頂けるものとなり、今では納経料*3を納めれば頂けるものとなりました。

 

そうとわかれば、納めにいくっきゃない!と謎の闘志に火が付き、ちょうど仕事の3連休が控えていたので、予定を組み始めます。

 

 

 一日目 茨城県 村松山 虚空蔵堂

 

二日目 東京都 高尾山 薬王院有喜寺

 

いまとなっては、一日目の虚空蔵堂を選んだ理由を思い出せないのですが、真言宗*4であるという短絡的な理由だったと思います。

(虚空蔵堂も、薬王院真言宗)

 

虚空を名乗る私が、巡礼のスタートを虚空蔵堂に選んだことに深い意味を感じぜずにはいられません。

 

前置きが長くなってしまったので、続きはまたのちほど。

 

続く

 

 

                                             虚空

*1:写経の単位は巻

*2:お寺では納経、墨書印

*3:神社では初穂料

*4:空海さんが開祖

虚空でございます

拝啓
 
みなさん、はじめまして。
虚空でございます。
 
突然ですが自己紹介の意も含め、ここ数年感私が大切にしていることを書きます。
 
  • 四季を感じる
  • 五感を満たす
  • 月の満ち欠け
  • 好きなことをする
  • 自分を大切にする
  • 丁寧に暮らす
 
ことです。
 
遡ること6年前....
大切な人から裏切られ、そのストレスから病気を発症し、どん底を経験しました。
 
対人関係のストレスで、こんなにすぐに身体に変調をきたすの!?と驚いたほど。
(その後通院し、投薬ですぐに回復)
 
病院の診察待ち、意気消沈の私は当時の職場の友人が言っていた“あること”を思い出します。
 
「虚空さん、私、写経始めたんですよ〜。」
 
病院を出た足でそのまま本屋さんへ向かい、導かれるように美文字ドリルコーナーへ。
割と大型書店だったこともあり、美文字ドリルと共にたくさんの写経ドリルが所狭しと並んでいました。数冊手に取ったのち、一冊のドリルに辿り着きます。
 
名取芳彦(ほうげん)さん著
1日5分の写経手帖 

https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4816353224/hatena-blog-22/

というものです。
 
 
般若心経を書きましょう、というドリルで、ペラペラとめくってみると、般若心経の現代語訳が載っています。一日一節を書き、一ヶ月で般若心経一巻を書き終えるスタイルでした。
 
現代語訳のあまりのわかりやすさと、般若心経の素敵な内容は、傷ついた心を強く打つと同時に、優しく染み渡りました。すぐさま購入を決意。帰宅後すぐにtry。
 
元々字を書くことや、学校のお習字の授業が好きだったこともあり、細い筆でお経を書くということに抵抗はありませんでした。
むしろ、生活のなかで中々手にすることのない筆ペンを持ち、集中してドリルの字をなぞることに気持ちよさを感じていました。
 
そして、なんとなしにドリルの背表紙を見ると著者の情報が載っており、なんと新小岩のお寺の御住職ではありませんか。
当時住んでいた自宅から、電車で一時間足らずの場所です。あまりの近さに感激し、御住職に会いに行こう、と決意。
 
著者名を検索すると、お寺のHPがヒット。
「読経会」というイベントをしていることがわかり、お経を読むんだ、楽しそう!と参加を決め、それから2週間後の読経会の日に、お寺を訪ねました。
 
人生で初めて写経をするタイミングが、痛手を負って戦意喪失である時とは、仏様の慈悲の心を感ぜずにはいられないな、と当時を振り返って改めて身に染みている午前2時です。
 
そしてお寺でのこの読経会こそが、空海さん」との出会いでした。空海さんとは、みなさんもご存知のあの、弘法大師空海のことです。
 
というのも、件のお寺は真言宗 豊山派のお寺であり、真言宗といえば弘法大師空海が開祖。中々一般の方は馴染みがないと思いますが、知れば知るほど素敵なのです。空海さん。
もちろん当時の私は、「空海?そういえば中学校で習ったよね....真言宗の開祖なんだ、へぇ。」程度の知識です。のちの私が、決して「空海」と呼び捨てで呼ばないようになるなんて知る由もありません。
 
こんなきっかけで「写経」を始め、「空海さん」を知り、今の私があります。

写経を始めて数ヶ月後の2015年2月に浄書した写経

 

冒頭に書きました、四季を感じること、五感を満たすこと、自分を大切にすること、丁寧に生きることなどなど....それまでの私には無縁でした。
 
写経と空海さんに出会ってから、様々な方や物とのご縁をいただき、それまでの自分の生き方を振り返るきっかけになりました。
 
まだまだ手探りで、日々勉強ではありますが、みなさんの心を軽くしたり、気付きのお手伝いができたら嬉しいな、と思い「虚空のこころ」をスタートしました。
 
長くなりましたが、末長いお付き合いを、どうぞよろしくお願いいたします。
 
 
かしこ
虚空